スローネットは新サイトに移行いたしました。今すぐアクセス

  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)


    (読み物コーナーの「原風景を歩く」は四月1日からサーク ルの「原風景を歩く」のコーナーに引っ越しました)


    ■万葉人の狩と摘み草
      
     倭建命(やまとたける)が「倭は国のまほろば、たたなづく青垣・・・・」と詠んだ大和盆地の東に連なる山々。
     都のある大和盆地が「国中(くんなか」と呼ばれていた のに対して、青垣と呼ばれる山々は、「東山中(ひがしさ んちゅう)」と呼ばれていました。
     大宇陀の里はそんな東国中の山あいにあります。関西に 住む人でも、「大宇陀」という土地がどこにあるのか、知 らない人が多いかもしれません。

     そこが「ひむがしの 野にかぎろひの立つ見えて かへ り見すれば 月かたぶきぬ」という万葉の歌の舞台だとい われています。
     軽皇子(文武天皇)が、父の草壁皇子をしのんで、阿騎 野に狩に行ったときに、柿本人麻呂も随行し、この歌を詠 んだといわれています。
     人麻呂が立った「阿騎野」とは、大宇陀のどのあたりな のでしょう。「阿紀神社」の「阿紀」も、「阿騎野」と同 じ語源からきた地名なのでしょう。「兎田野(うたの)」 も「宇太(うた)水分神社」も「大宇陀」の「宇陀」と同 じ語源なのでしょう。

     人麻呂がどのあたりでこの歌を詠んだのかは知りません が、大宇陀は万葉人の狩の舞台であり、薬草摘みの舞台だ で薬草を摘んだことでしょう。推古天皇もこの地で薬草狩 りをしたようです。

     大宇陀の野は、飛鳥の都から東の山中に分け入った低山 や小高い丘の隙間に連なる草地であり、万葉人にとっての 手ごろなピクニックの場だったともいえます。万葉の男女 はここで狩や摘み草に時を過ごし、交流を深め、優雅な行 事の場となっていったのでしょう。
    野といっても広大な「平野」というのではなく、もともと 山裾ののびやかな草地を意味するものだったのです。
    「大宇陀」は、そんな山あいの里なのです。

     写真 (1)大宇陀の山々を望む
         (2)大宇陀の道
         (3)かぎろひの丘
         (4)大宇陀の民家
         (5)野のオドリコソウ
    コメント12件を表示する 2011/03/31 06:11

    原風景を歩く(O.C.)のイメージ

    原風景を歩く(O.C.)

    サークル
    パブリック
    誰でもフォロー可