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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)


    ■薬草の里「森野旧薬園」

     大宇陀の町に、昔懐かしい酒、菓子、吉野葛、薬草などを商う通りが残り、そんな店のひとつに、「元祖吉野葛」の看板がかかった森野吉野葛本舗があります。
     裏庭には吉野葛のさらし場があり、今も寒気の中で地下水のみで精製するという古来の製法で葛粉を作っています。春の今は、さらし場の槽は空っぽですが、冬の忙しい季節にはここで攪拌、自然沈殿、排水、加水を繰り返し、不純物を取り除いてゆくそうです。
     さらし場のむこうには、枝振りのいい芽吹きはじめたばかりの楓が紅く、歌舞伎の舞台背景さえ連想させる情景です。この楓を背に、古くからの手法で吉野葛をさらす人たちの姿は、さぞかし舞台の役者といえましょう。
     
     楓のそばから裏山の「森野旧薬園」に登る石段の傍らには、紅紫のカタクリの花がうつむきかげんに咲いています。 カタクリに出会うのは何年ぶりでしょうか。初めて見たのは白馬の蓮華温泉近くの雪解けの頃で、春の訪れを待ちかねたように雪間から姿を見せていました。最後に見たのは、北関東のどこかの丘陵地でしたから、もう十年も前になります。今ではカタクリの花は絶滅危惧種として、そっと眺めるばかりの花となっていますが、昔はカタクリ粉がとれるほど各地に咲いていたのでしょう。


     後ろを振り向くと、新芽で紅く染まった木の枝を透して、大宇陀の町が望まれます。
     木の下には立て札があり、「花の木」と書かれています。この木は、四月の芽吹きの頃、ほんの一瞬だけ、まさに「花の木」と化す「もみじ」の一種で、「もみじ」が「椛」と表されるのは、そんなところから来たのでしょう。
     眼下では、先ほどの森野吉野葛本舗や酒蔵の屋根が、午後の光で銀鼠に照り、奈良在住の方のお話では、その先に名高い又兵衛桜の色が遠く望めるそうです。百年近くさほど変わらぬこの風景を、花の木の下でしばらく眺め続けていたい気分です。

     細道は登りつづけ、斜面にはアオキ、アセビ、アマチャなどの低木や、バイモ、ウツボグサ、オニユリなどの草花が植えられています。見慣れた草木もあれば、見知らぬ草木もあり、名前だけは聞き覚えのあるものもります。朝鮮人参や銀杏など、いかにも薬草らしい草木もあれば、ヤツデやシュロのように「えっ、この草も薬草なの?」と思うような草木もあります。明治に入り、西洋の薬が入るようになるまで、大宇陀は薬草の里であり続けました。
     見飽きることなく、薬草園を歩きつづけると、やがて道は林にぶつかり、暗い木陰はいま石楠花の季節を迎えようとしています。

    ■桃岳庵―薬草図鑑を生んだ庵

     高台にたどり着くと、小さな平地に茅葺屋根と瓦屋根が組み合わされた小さな庵があります。 話は前後しますが、代々葛粉製造する中で、11代当主、森野通貞(通称福助・号賽郭)は薬草木に関心を持ち、近畿一円、美濃、北陸をも訪ねて薬草を採取し、この屋敷内で栽培して研究を続けました。やがて賽郭は家督を子どもの武貞に譲り、この高台に「桃岳庵」と名づけた庵を設け、薬草の観察をしながら写生し、900種が描かれている薬草図鑑「松山本草」を編集しましあた。日本最古の原色薬草図鑑だそうです。
     そして、「賽郭は 未だ死もせず 生きもせず 春秋ここに楽しみぞする」という辞世の句を残し、78歳で人生を全う
    しました。


     古くは安(吾)騎野と呼ばれ、この地は万葉人の薬草摘みの舞台であり、推古天皇もこの地で薬草を摘んだといいます。その歴史は江戸期にまで受け継がれ、賽郭がその歴史を「松山本草」に集大成したことになります。


    「大宇陀」は、薬草摘みの里であり、薬の里でもあるのです。
    1.森野旧薬園
    2.旧薬園より大宇陀の屋根を望む
    3.旧薬園で出あった花
    4.桃岳庵
    5.新芽のもみじ
    コメント4件を表示する 2011/04/09 09:52

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