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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)



    ■片岡家住宅―殿様の狩の舞台
     
     青空を背にした小高い丘、その麓に広がるのびやかな野。丘は桜の季節を終えて、ようやく萌黄色の芽吹きの季節を迎えようとしています。野では春日を受けたタンポポが背伸びしています。大宇陀田原の道は、そんな丘や野の間を、ときにはゆるやかに上り、ときにはゆるやかに下りながら縫ってゆきます。
     林の上に欅の大きな影が見えはじめ、道は高い石垣にそった坂道につながってゆきます。芽吹きにはもうしばらくという欅は、こぶこぶの太く黒い幹と枝だけが目立ち、石垣を壊さんがばかりの迫力で村に入ってくる人を見据えています。
    この石垣が積まれたのと同じ頃にこの欅も生まれたのでしょうか。何百年の歴史をここから見下ろしてきたのでしょうか。
     石垣の上には緑濃い大杉を背に茅葺屋根の一部が見えはじめ、坂を上り詰めると、高台から村を見下ろす民家が全容を見せてきます。厚みのある茅葺の深い軒は、いかにもこの土地の大庄屋という風格です。庄屋さんはここから大宇陀の空を見上げては今年の田植えの時期を思案し、村の田畑を見下ろしては秋の豊作を祈り、村人たちの日々の営みに思いを馳せたことでしょう。

     ここが九か村の大庄屋を務めた「片岡家」です。立派な建物はですが、武家屋敷の門のような威圧感もなければ、うだつを上げた商人屋敷のような華美さもなく、あくまでも親しみやすい百姓屋敷です。入り口近くの土壁に繰り貫かれた小窓は、素朴な竹の桟だけでふさがれています。土壁と小窓の配置や竹桟のバランスは、素朴な壁にほほえみさえ誘うような優美さを感じさせます。
     飾り気のない、それでいて色合いのいい土壁が、前の池に映り込み、その横にとめられた軽トラが似合っています。
    表門から屋敷内に入ると、頭上には骨太の梁が組まれ、屋根裏に上る梯子が備わっています。暗い壁沿いには百姓屋らしく唐臼が、土間には竈が設けられ甕が無造作に置かれています。

    ■片岡彦左衛門さんの話

     大庄屋末裔のご主人は、こんな話をされました。
    「この先に『片岡』という村がありますが、多分先祖はそちらからここへ引っ越してきたのだと思うのです。先祖は几帳面だったらしく、けっこう記録をよく残していたのです。建物は江戸時代はじめ、天明2年(1670年)のものです。もともとの軒の高さは、もっと低かったのですが、それでは余りに部屋が暗くなるので、修理のときに少し高めに直してもらいました。屋根の茅に虫がつかないように、今もときおり火を燃やして煙を回しています」

     一方、主屋には本来百姓屋敷にはない式台がついています。格式高い式台があるということは、この庄屋屋敷に位の高い人が訪れていたことを物語っています。
    「式台があるのは、江戸時代に、郡山の殿様がときおり大宇陀に狩に来られたおりに、ここに立ち寄られて休憩をされたからなのです。狩に来られる前には、殿様が行水をされるから、行水の準備をしておくようにとか、狩り用の雉を集めておくようにとかというお達しがありました。突然雉を集めるといっても、簡単じゃなかったでしょうがね・・・。家来は殿様の狩の成果に気を使っていたのでしょうね。宮仕えは今も昔も変わりませんね」
    「ここには風呂はありませんで、殿様は風呂ではなく、行水をされたらしいのです。食事もこちらで準備した様子はなく、殿様の方で食事の用意はされたようです。泊まられた様子もありませんで、狩の合間の休憩として使われたようです」

     床の間には、今日も椿が生けられており、座敷には立派な屏風が置かれています。
    「こんな立派な屏風は、本来百姓屋敷が持っているはずのものじゃないのですよ。おそらく殿様が休憩に立ち寄られるときに持ってこられて置いておかれたのか、あるいは賜ったものかはわかりませんが・・・」

     質素ではあるが品のいい飾りがついた障子を開けると、庭の向こうに大宇陀の山々が霞んでいます。塀の外には、来るときに下から眺めていた欅が逆光の中で枝を張っています。
    万葉人が飛鳥から狩や薬草摘みに来ていた大宇陀の野は、江戸時代にも狩の舞台だったようです。
    コメント1件を表示する 2011/04/13 09:41

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