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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)


    ■ちょっと道草、まさに道草

     五月の連休に入ると、さっそく孫たちがやってきました。
    「よし、お寺の石段へ行こうか」これだけで行き先は通じています。 住宅地を出て、まだ農地の面影を残す道を経て、 住宅地を抜けたところで、さっそく孫たちの道草がはじまります。これもいつものことなのです。宅地造成の斜面を転げながら滑り下りてゆきます。そこは子どもたちの遊び場になっているのか、斜面の草は擦り切れ、その下には一本の細い踏み分け道が続いています。
     斜面を下った勢いで走っているかと思うと、草むらで何かを見つけてはしゃがみこみ、また走りはじめます。もはや孫たちの足にはついてゆけなくなり、みるみる距離は離れてゆくばかりです。

     やがて踏み分け道は、右側が小高い丘に沿った農道と交わり、やっと私が追いついた頃には、孫たちは去年ドングリを拾たことのある雑木林へ向かっています。林に姿を消しても、しばらく草むらを分ける音とはしゃぐ声が聞えてきます。 
     そして、ようやく芽吹きはじめたばかりの雑木林から、去年落ちたらしいイガグリと2枚の落ち葉と、杖に手ごろな枝を手に、得意げに姿を見せます。
    さっそく雑木林と農道との隙間を下る溝に葉っぱを流し、ときには石に邪魔された葉っぱを枝で戻しながら、追ってゆきます。やがて流れは暗渠に姿を消し、葉っぱも消えてしまいました。

     葉っぱのことはあきらめて、今度は丘の柿畑の下でお花摘みがはじまります。頭上では柿が芽吹きはじめ、早くも小さなさくらんぼの実が下がり、萌黄色の光が孫たちに降り注いでいます。二人は頭上の光や色は気にもとめず、ひたすら草むらを分けて花を摘み続けています。
     まさに道草・・・道草は、古来子どもたちの特権です。

    ■子どもたちは遊びの達人

     やがて道は農家の古く大きな門の前に出て、門の影がくっきりと道に落ち、門の内では芽吹きはじめたばかりの紅い楓が、五月の陽射しを受けています。
     門の前はグラウンドに早変わり、先ほど拾ったイガグリと木の枝で、ホッケーがはじまります。高価な玩具もスポーツ道具も要りません。たまたま林で拾ったもので、子どもたちは遊びを創りはじめます。観客は農家の屋根で日向ぼっこをしながら試合を見下ろしている黒猫だけです。

     孫たちの後ろに午後の陽が差し、二人の影が目の前に長く伸びています。
     二人はさっそく拾った木の枝を頭にかざして、妹は触覚に似せて「ゴキブリだ〜」、兄は角に似せて、「鹿だ〜」といいながら、道に影を映しています。またも新しい即興の遊びがはじまったようです。

     
     ■「道」とは何でしょう
     
     子どもたちにとって、「道」とは出発地から目的地に向かうためだけのものではなく、「寄り道」するためのものであり、「道草」するためのものなのです。そして「道」は遊びの舞台なのです。「道」という舞台に立つヒーローもヒロインも、子供たちなのです。舞台監督も演出家も子どもたちなのです。

     木の枝や葉っぱを見つければ、イガグリが拾えば、そして花が咲いておれば、子どもたちは、道端で自分たちの遊びを創り出します。創造力と想像力は子どもたちのものです。大人は、ただ後ろからゆっくりとついてゆけばよいのです。
     幼い頃、笑いこげながら石けりや缶けりをした道、うまく回らないコマを何回も練習していた道、日暮れまで影踏みをしていた道、ロウ石で大きな汽車の絵を描いていた道・・・、そんな日々を思い出しませんか。

    車だけが走る道から、人が散歩することができる道へ、そして子ども達が遊べる道へ、・・・子どもたちの道を取り戻したいものです。

    (1) いつもの散歩道
    (2) 斜面をすべり降りる
    (3) 雑木林で道草
    (4) 道はホッケー会場に
    (5) 「ゴキブリだー」
    コメント4件を表示する 2011/04/30 10:12

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