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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)



    ■飛鳥から吉野へ

    飛鳥の裏には「たたなづく青垣」と呼ばれる山が迫っており、この山を越えれば吉野である。とはいえ、今のように広い道やトンネルがあるわけでもない。古来、飛鳥と吉野は密接なかかわりを持っていたが、吉野に向かう道は想像以上に深く、飛鳥人にとっては、けっこう厳しい山越えだっただろう。
    しかし、天武、持統、文武、元正、聖武の各天皇は、吉野川上流にある吉野宮へ行幸し、持統天皇にいたっては、在位11年間に31回も吉野宮行幸したという。
    飛鳥から吉野に越える道は、いまは栢森(かやのもり)から芋峠越えの道か、多武峰(とうのみね)から鹿路(ろくろ)を越えてゆく道が主であるが、当時は芋峠、竜在峠、細峠を越える三本の道があった。もちろん現在の車の通う道ではない。

    古代の芋峠越えの道は、現在の芋峠道と平行したり、交差したりしながら登ってゆくが、今はときおり万葉の道を巡る人が歩くだけで、もはや地元の人も歩いている様子はない。
    細峠も、鹿路トンネルの入り口付近から右に折れ、杉林の下を徒歩で越える杣道で、日常の道としては使われている様子もない。
    当時はもう少し踏み固められていたのだろうが、急坂であることには変わりはない。天皇たちはこの急坂をどのように越えていったのだろう。女性の持統天皇は、輿に乗って越えたのだろうか。たとえ輿で越えるといえども、この急坂ではそれも容易なことではなかっただろう。

    旧峠道は、今はもう人の往来はなく、出会うのは昨夜の雨に濡れた道端のホタルブクロだけ。雨で白い花びらは半透明になり、その姿は木陰に吊るされたガラスの風鈴と化している。他にもムラサキツユクサ、紫陽花・・・以前はこのあたりにも集落があったのだろうか、そんな俤を感じさせる峠の花である。
    峠の彼方に、幾重にも重なる吉野の山塊が霧をまとってたたずんでいる。飛鳥人にとってそこは異界だった。峠を越えてこの山塊を望んだときに、飛鳥人は静けさと深遠さが漂う神々が支配する世界を感じただろう。
    「峠」には、山越えの場という意味以外に、文化や宗教を隔てる深い意味があったことだろう。
    (写真)
       1.吉野に向かう芋峠
       2.細峠に向かう林
       3.ガラスのように濡れたリンドウ 
       4.蓮の花が散って・・・
       5、飛鳥人にとっての異界の国、吉野
    コメントする 2011/08/13 12:04

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