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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)


    ■甘樫丘―飛鳥の歴史を見はるかす丘
     
    大和盆地東南の飛鳥の地に入ると、道沿いにコスモスが秋の陽射しを受けて花開き、緑濃い丘が寝そべるようにたたずんでいます。この丘が甘樫の丘。飛鳥を一望するために、まずはこの丘に上ってみましょう。樫におおわれた鞍部をたどると、丘の北端で突然眺望が開け、高台からは飛鳥のみならず、大和盆地南部が一望に見渡せます。
    東を望むと、飛鳥古京の俤を残す飛鳥寺のひときわ大きな屋根が見下ろされ、その背後には、多武峰をはじめとする青垣が飛鳥古京を見守っています。
    北に目を移すと、稲刈りをはじめたばかりの稲田を隔てて、天香具山がのびやかにたなびくような姿を見せています。
    その左には、野焼きの白い煙の彼方に、流麗な耳成山が金色の稲海に浮かぶ小島のように霞んでいます。
    さらに西に目を移すと、足元には蘇我氏の本拠地だった豊浦(とうら)の村屋根が、その向こうには剣池の水面(みなも)が淡い光を受けて照り、さらにその先には、大蛇が象を呑みこんだような姿の、一見して畝傍山とわかる山影がたたずんでいます。そしてはるか彼方には、大和と河内を隔てる二上山、葛城山、金剛山と続く西の青垣が、屏風のように大和盆地を守っています。

    甘樫の丘は蘇我氏の本拠地でした。飛鳥時代前期に勢力を誇り、飛鳥を牛耳っていた蘇我氏が、飛鳥の地を眼下に見下ろすこの甘樫丘を拠点にしていたことがうなずけます。
    この小島のように浮かぶ甘樫丘や天香具山と、多武峰から八釣山の麓に下る大原の丘と、山裾から半島のように伸びる橘の丘に囲われたこの小さな野が、飛鳥時代の大宝律令など政治制度、貨幣制度などの経済体制、中央集権が確立され、日本書紀などの歴史編纂の準備が進められ、万葉文化が誕生した地なのです。
    今では何事もなかったような野ですが、中大兄皇子、中臣鎌足らによる蘇我入鹿暗殺から大化の改新への舞台となった板葺宮跡、壬申の乱以降の天武政治の舞台となった浄御原宮もこのあたりにあったはずです。
    飛鳥人は、広い大和盆地の真ん中には住まず、盆地の片隅に点在する小島のような丘とその隙間を埋める野とが織り成す風景の中に宮を構え、この地をに愛着を持ってふるさととし、その風景を愛でて万葉の歌に残してきました。そんな歌の中に、飛鳥人の心の安堵感、ふるさと観や自然に対する美意識が垣間見られるのです。

    (写真)
     1.飛鳥の田園より甘樫の丘を望む
     2.甘樫の丘より、天香具山を望む
     3.甘樫の丘より耳成山を望む
     4.藤原氏の拠点、八釣山の麓
     5.夕暮れの飛鳥
    コメントする 2011/09/02 01:18

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