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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)


    ■豊浦(とゆら)の里-そこは飛鳥文化揺籃の地

    甘樫丘の麓に、豊浦(とゆら)の里があります。麓というより、父親のような甘樫の丘とその懐に抱かれた豊浦の里とは一体のものといえます。甘樫の丘からゆるやかな坂を下り、細く入り組んだ村道をたどると、向原寺の小作りな山門に前に出ます。
    飛鳥時代前期、この丘周辺は当時勢力を誇っていた蘇我氏の拠点でした。推古天皇も、蘇我氏の敷地の一部に「豊浦宮」を設けていたようですから、その勢力のほどは推しはかられます。その宮跡が豊浦寺となったようで、いまは、豊浦寺跡は向原寺となっていますが、発掘の結果、その敷地内から当時の金堂や講堂らしい跡が発見されています。

    向原寺の山門をくぐり、本堂の前に立つと、寺の奥さんが、「いま観音菩薩像を公開していますからどうぞ」と声をかけてくださいました。話好きな住職が、蘇我氏や推古天皇の時代の飛鳥文化揺籃の舞台である豊浦の歴史や豊浦寺と向原寺のなりたちについて話してくださいました。
    当時、仏教導入派の蘇我氏と日本古来の神を守ろうとする廃仏派の物部氏が対立しており、物部氏は寺の一角の難波池に仏像を投げ捨てたそうです。その後、時を経て、この地に赴任してきた「善光(ぜんこう)」なる人物が、池の前を通りかかると「善光、善光」と呼ぶ声がします。家来に池をさらわせてみると、金色の仏像が現れたといいます。やがて善光が信州に帰るときに仏像を持ちかえり、おまつりしたのが長野の「善光寺」だそうです。
    そんな伝承がこの寺に残っています。ただし善光寺では、その仏像を秘仏としているので、誰もその姿を目にしたことはないようです。

    ところで、向源寺の金銅観音菩薩は、40cm足らず小さな像です。実は1974年にこの仏像は本堂から盗まれ、ごく最近、オークションに出されていたのを、たまたま大学院生が見つけ、37年前ぶりに帰ってきたところだそうです。像の頭部は飛鳥時代のもの、胴は江戸時代に作られたもののようです。
    住職の話では、盗難に遭ったからといって、仏像を博物館に預けたり、収蔵庫に保存したりするつもりはないといいます。そうなれば観音さまは単なる美術品になってしまうため、今後とも、信仰の対象として本堂でおまつりしたいとのことです。
    「写真も、自由にどうぞ」と、きわめておおらかです。37年ぶりに里帰りした金銅観音菩薩は、これからおおらかな住職とともに、豊浦の地で平穏な時を過すことでしょう。

    ところで、観音菩薩像の頭部は江戸時代にこの池で発見され、江戸時代に胴体を付け加えたということは、善光寺の本尊は、もしかすると頭部のない胴体だけだったのでしょうか。秘仏なので、確かめようもありませんが・・・・。

    (写真)
    1.飛鳥の稲田と村を訪ねて
    2.甘樫の丘の麓、向原寺を訪ねる
    3.再び返ってきた観音像
    4.豊浦の裏道の「立石」
    5.野を高校生たちが自転車で
    コメントする 2011/09/06 10:17

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