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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)


    ■佐田の丘-草壁皇子を訪ねる

    近鉄飛鳥駅前から南下すると、右手に真弓、佐田の丘が続いています。地図をたよりに佐田の村道をたどり、草壁皇子の稜はこのあたりにあるはずだと思いながら歩きますが、見当たらず、辻には「岡宮天皇稜」と書かれた石標が立っています。
    そこは、村はずれの丘の麓を利用した小暗い森に覆われた稜です。「岡宮天皇」とはいったい誰なのでしょう。いつごろの天皇なのでしょう。
    地図の位置から察すると、どうやら「岡宮天皇」とは「草壁皇子」のことのようです。それにしても、天武、持統天皇の息子、草壁皇子は、皇子のまま若くして亡くなり、天皇にはなっていないはずです。
    家に帰って調べてみると、草壁皇子は飛鳥の「岡」のたもとにある「島宮」に住み、そこで28歳で亡くなっています。それで死後、皇子に「岡宮天皇」の尊号が与えられたらしいのです。

    草壁の皇子の葬儀の列は、岡から真弓の丘へ、さらに佐田の丘へと続き、佐田の丘で殯(かりもがり)の儀が行われました。耳を澄ませば、今も静かな森影から殯の声が聞こえてくるかもしれません。

    ■越智の丘-斉明天皇と大田皇女を訪ねる

    「草壁皇子陵」のある佐田の丘から、「越智の丘」へと西に向かってみましょう。ここまで来れば、飛鳥を訪ねる観光客もは足を延ばすことはなさそうです
    金色の稲田の広がる越智の野の向こうに、秋の午後のやわらかな光が銀鼠の屋根に降っています。村を抜けて丘の麓に着くと、道は暗い森に覆われた石段に吸い込まれてゆきます。予想以上に厳しい石段を上り続けると、ようやく大田皇女の墓の前に出ます。さらに石段を登り、少々息切れしそうになったところで、やっと斉明天皇稜にたどり着きます。

    斉明天皇とは、大化の改新を成し遂げた中大兄皇子(天智天皇)や壬申の乱の立役者である大海人皇子(天武天皇)というふたりの皇子の母です。
    また、大田皇女とは天智天皇の娘であり、天武天皇に嫁して大津皇子を生みますが、本人は早くに亡くなりました。そして大田皇女の妹であり、天武天皇の皇后だった持統天皇によって、大津皇子は謀反の疑いで処刑され、はるかな二上山の頂に眠っています。
    この丘には、祖母と孫娘との優しい心根が、そして壬申の乱後の近親間の争いと激動との時代の悲劇と哀しみが漂っています。

    最近発掘された別の古墳が、斉明天皇稜だろうという説が有力ですがが、それは専門家に任せ、素人の私はこの丘で飛鳥人の心情に想いを馳せることにしましょう。


    ■飛鳥の丘で生まれ、生き、そして眠る

    この旅でたどった蘇我氏の「甘樫丘」、藤原(中臣)氏の生まれた「大原の丘」、草壁の皇子の住んだ「岡」、文武天皇の眠る安古山稜や、天武、持統天皇の眠る大内稜のある「檜隈の丘」、そして草壁皇子の眠る「佐田の丘」や、斉明天皇や大田皇女の眠る「越智の丘」。
    飛鳥時代の政治の変革と騒乱と安定、仏教の導入と排斥、そして人間の愛憎。さまざまな物語を生み出した飛鳥人が、飛鳥の丘で生まれ育ち、生き、争い、ふるさとを想い、歌を詠み、やがてすべてが終ってそれぞれの丘に眠っています。
    明日もう一度、この旅の出発点の甘樫の丘に上って、二上山に沈む夕日を眺めながら、飛鳥人の心を思い返してみることにしましょう。


    (写真)
    1.岡宮天皇陵(草壁皇子陵)
    2.靄にかすむ大和路
    3.黄金の越智の里
    4.斉明天皇陵に向かう石段
    5.二上山の黄昏
    コメントする 2011/09/26 10:14

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