スローネットは新サイトに移行いたしました。今すぐアクセス

  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)


    ■鳥居本宿-赤い布は何の色

    近江の中山道を関ヶ原に向かっていると、鳥居本の辻で「左 中山道 京いせ道」「右 彦根道」と刻まれた道標に出会います。ここが中山道と彦根道とが合流する地点です。「彦根道」とは「朝鮮人街道」のことで、野洲で中山道と分かれた朝鮮人街道は、近江八幡、彦根を経て、再びこの鳥居本宿で合流します。さらに中山道は、この宿で北陸に向かう「北国街道」と分かれます。鳥居本宿は交通の要所でもあったのです。
    今日は、鳥居本宿から、伊吹山を左手に眺めながら、醒ヶ井宿、柏原宿を経て、中山道沿いに関ヶ原に向かってみましょう。

    鳥居本宿に入ると、街道沿いに落ち着いた町屋が連なり、格子や板塀に赤い布が張られています。ある町屋では格子に布を真一文字に張っており、ある町屋では何枚もの赤い布を斜めにダイナミックに張っており、ある町屋ではリボンのように結ばれています。
    「赤い布」という以外には、特に決まった様式があるわけでもなく、それぞれの家が、赤い布を自由に折ってみたり、しわをよせたりのばしたりして、個性豊かに飾っています。
    まっすぐに張られた布からは、張り詰めた緊張感が伝わり、ゆるく結ばれた布からは穏やかな情景が伝わってきます。いかにも女性が飾ったと思われるようなハート型の布に赤い花を添えた作品があると思えば、頑固な親父さんが庭石に鉢巻を巻いたようなものまであります。
    一枚の赤い布が、これだけ豊かな表現を生み出せるということを、あらためて感じさせられました。しばらく赤い布の不思議な魅力に誘われながら、宿場町を歩いてみましょう。

    いったいこの赤い布は何なのでしょう。まもなくお祭りでもあるのでしょうか。昔からの祭りの行事なのでしょうか、それとも新しい町づくりの一環としてのイベントなのでしょうか。街道筋には何の説明も書かれておらず、ただ赤い布が、街道を歩く人に語りかけてくるだけです。

    鳥居本宿の名物は、「赤玉神教丸」、「合羽(かっぱ)」、「すいか」で、「鳥居本の三赤」として知られていました。「赤玉神教丸」は腹痛、食傷、下痢止めにきく胃腸薬です。「合羽」は江戸時代の鳥居本の重要な産業であり、今も合羽所「木綿屋」の看板が軒下に下がっています。合羽が赤いのは、柿渋を塗布するときに、ベンガラを入れたためです。もうひとつの赤は「西瓜」ですが、鳥居本の西瓜は皮が厚く不評だったために姿を消したとそうです。
    「三赤」の中で、今も赤玉神教丸を商う有川家の建物は、街道筋に重厚な屋根を見せています。
    家々に張られた赤い布は、鳥居本の「三赤」とかかわりがあるのでしょうか。

    ■「赤」という色は
     
    街道近くの畑の畦には、いま真っ赤な曼珠沙華の花が咲いています。「赤」という色は、独得な言葉で人に訴えかけてきます。
    「赤」は、「赤子」、「赤ん坊」、「赤ちゃん」というように、生命の起源や生命の再生を意味するらしく、お地蔵様の赤い涎(よだれ)掛けは、水子の再生を表しています。
    古代に古墳の内部に朱色を塗ったのは、腐食を防ぐ意味とともに、古墳内の魔よけ的な意味もあったのでしょう。また、神功皇后が新羅に出兵する際に、赤土を船や鎧に塗ることにより、不思議な霊力を得たという話もあります。
    さらに、壬申の乱の折には、大海人皇子(後の天武天皇)は、自軍の軍旗を赤にし、兵士にも赤色の布をつけさせたといいます。赤は前漢の色であり、大海人皇子は自分を漢の皇祖(劉邦)になぞらえて、赤い色をシンボルカラーにした。赤は勝利を象徴する色でもあったのでしょう。赤い色は血の色であり、活力と蘇生、死との対決、死霊封じの色で、古(いにしえ)の人々は赤を呪術具としたようです。

    さて鳥居本宿の町屋の赤い布は、どういういわれなのでしょう。私には今も分らないままです。


    〈写真〉
    1.鳥居本の中山道石標
    2.鳥居本宿の街道
    3.赤い布は何を意味するのでしょう
    4.それぞれの赤い布で個性的表現
    5.赤い色は彼岸花の色
    コメントする 2011/10/02 09:56

    原風景を歩く(O.C.)のイメージ

    原風景を歩く(O.C.)

    サークル
    パブリック
    誰でもフォロー可