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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)




    ■「わが青春のアルカディア」
    もう一度、歩いてみたい。四十数年前の二十代の頃、濡れた重いキスルングを背負って歩いた、あの京都北山の峠道を。正月明けの雪が音もなく降り続く朝、窓の外を眺めながら、そんなことを考えていた。まもなく七十路を間近に迎える今、いつまで山道を歩けるかわからない。いつか歩いてみよう・・・と言っている時間はない。今年は、いや今週から、昔の記憶をたどってあの峠道を越えてみよう。
    学生生活を終え、京都を離れてからは、私の山旅も他の土地へ関心が広がり、ときおり北山を訪れるだけになった。そして今、再び心は北山に還ってきた。青春時代がなつかしいから・・・それもあるかもしれない。しかし、二十代の頃には、ただ越えるためだけにあった峠道や、遡るためだけにあった沢沿いの木馬道を、今そこに秘められた山人の暮らしや北山の文化、この峠を越えていった人びとの歴史に思いを馳せながら歩いてみたい。

    北山には、険しい山稜や絶壁、壮絶な瀑布や渓谷があるわけではない。すべて1、000mたらずの低山の連続であり、最高峰といってもせいぜい皆子山の971.5mで、これは諏訪盆地の標高でしかない。山麓から眺めるすばらしい山頂もなければ、山頂からの望む眺望があるわけでもない。
    もし山の価値が、山の高さや眺望だけにあるならば、北山は打ち重なる低山に杉が生えているだけの、ほとんど価値のない凡山凡水の山々の連続である。

    しかし山の価値とは、山のスケールだけで計られるものだろうか。山の価値はそれぞれの山の持っている文化や歴史やそこに住む人びとの営みがかもし出す個性によって語られてもいいのではないだろうか。
    雪深い途中峠を越えて若狭から京に向かって、夜を徹して歩き通した人びと。孤島のような山中の集落で作った器を、峠を越えて朽木村に運んだ木地師の人びと。北山杉を切り出して木馬道を運び、繊細な床柱の北山丸太を作ってきた人びと。雪深い八丁川上流の孤立した山村を捨て、峠を下った人びと。そんな人びとが足跡を残してきた峠道は、他の山にはない北山の個性といえよう。

    ■峠の名前
    天皇家の権力争いに破れた惟高親王が、雲ヶが畑に身を隠し、北山山中を彷徨した峠道の数々。比叡山の行者たちが修行のために越えた花折峠。朝倉攻めに失敗した信長が山中を敗走して行った峠道。鞍馬山に身を隠した義経が、天狗とともに走り回った鞍馬山中の峠道。平安朝以来、皇室とのかかわりがあった山国郷の人びとが、幕末に勤皇派に加わり、山国隊を結成して越えて行った峠道。
    幾重にも重なり、幾筋もの沢を遡る深い北山ではあるが、洛北に続く峠道や沢道は、京の政治や権力の歴史と切り離すことができない。そんな歴史も北山の個性といえよう。

    北山には数え切れないほどの峠があり沢がある。
    夜泣峠、花折峠、ダンノ峠、卒塔婆峠、地蔵峠、途中峠・・・・。誰が名づけたのだろう。どのようにして名前が生まれたのだろう。それぞれにどんな意味が含まれているのだろう。
    今となっては峠の名前の由来を知る由もないが、北山の峠の名前には、そこに住む人々や、峠を越えていった人びとの歴史と物語があったはずである。
    その峠の名前に、ときには京の香りを感じることがあり、ときには山中に住む人びとの雪に埋もれた苦悩を感じることがあり、ときには峠越えの旅人の思いを感じることもある。千に及ぶといわれる北山の峠の名前は、時の権力者が名づけたものではなく、日頃その峠を越えていた人びとによって名付けられたものが多かろう。
    北山の峠道は、そもそも山頂に登るための登山道とは異なる。山頂は登山する人がいてもいなくても存在しつづけるが、峠は人が山越えすることによって生まれ、人が山越えをしなくなれば藪の中に姿を消してしまう。
    山にかかわる人々の生活や文化があり、峠を越える人や物の交流があってこそ、峠は生まれ、峠の名前が生まれる。峠は山の仕事や生活、山の文化や歴史とともにあり、峠の名前は無形文化財といえるかもしれない。

    そして今、トンネルができ、バイパスができて峠道は消えつつある。
    音もなく降り積もる雪の峠道にわずかに残る足跡、そして峠の彼方の雪に霞む北山杉の影に、北山特有の奥深さときめの細かさを感じる。北山の価値はこうした低山の峠道にあるといってよい。
    そんな面影を残す峠道を、もう一度歩いてみよう。なつかしいだけではない。四十数年前には、気づかなかった峠の空気を、今この歳でこそ感じ取れるかもしれない。
    誰が言ったのだろう。この北山のことを、「わが青春のアルカディア」と。

    コメントする 2011/12/31 12:05

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