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    昔海軍で1年生の時同室(十数名)だった者の他界のファックスがきました。彼は,大卒後船舶売買の会社を興し,80代半ばのこんにちまで社長として,働いていました。

    死はすべての人間に訪れる宿命ですが,それまでの間,どのような生き方をするかが大切です。如何に充実した生き方という質の面が,重要なことです。
    彼は死ぬまで事業主で働いた,ということは苦労もあったろうが,充実した人生だったといえるでしょう。

    話は変わって,昭和18年5月ベーリング海でのアッツ島は日本軍で最初に玉砕した。そのことから近くのキスカ島守備隊を救出しなければならないことになり,その2ヶ月後の7月にたいへん困難のなか,キスカ島の守備隊5、200人全員を救出したが,その艦隊の指揮官が,木村昌福少将(後中将)でした。他界した彼はその息子です。

    木村昌福さんは,私が大変尊敬する将軍です。キスカ島救出以外のことについて紹介します。

    ミッドウェー作戦で敗れたとき,栗田健男司令官は各艦1列になって高速力で引き返すようにと指示し,各艦はその通り行動したが,途中破損して動けなくなった艦を見た木村艦長は「われ機械故障と旗艦に信号せよ」と命じて,動けなくなった艦の乗員を救助し,相当遅れて後を追った。軍率違反して人命救助に当たったわけです。

    敵機は1列で引き返す我が艦を追跡攻撃し,我が艦は多大の損害を受けたが,だいぶ離れ遅れた木村艦長のフネには,敵機は攻撃をしなかったという話があります。

    また,航空機特攻作戦がフィリッピンで盛んな頃,木村昌福さんは水雷戦隊司令官であり,水上突入を行った。戦って沈没した艦船の乗員救助は,普通司令官の乗った旗艦は行わず,敵機来襲圏外に脱出するのが普通であるのに,木村司令官の乗った旗艦が救助にあたり,他のフネは,脱出を命じられている。

    こういった木村昌福さんの人命尊重の行為はアメリカでは高く評価され,木村昌福さんを「日本でのヒューマニティの富んだ最後の軍人だ」と言っています。
    コメント8件を表示する 2012/03/08 10:46

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