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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)








    秋津原、そこは天孫族憧れの地

    大和盆地西南部の葛城山麓や葛城古道は、飛鳥や山之辺の道ほどには観光客が訪れることもなく、静かな古道沿いの棚田は、田植えの頃には白雲を映し、彼岸の頃には曼珠沙華に縁どられ、稲刈りの頃には陽光を受けて黄金色に輝いています。
    そこには三方を小山や丘に囲まれた陽だまりのような小さな野が佇み、その彼方には大和三山が霞み、大和盆地が広がっています。
    葛城山麓から金剛山麓にかけて、「高鴨神社」、「葛城市」、「巨勢寺」、「曽我川」などの名が残り、政治の中心が飛鳥に移る以前には、この地が鴨氏、葛城氏、巨勢氏、蘇我氏など、大和の古代豪族たちを生み出した地であることを物語っています。

    ここは、「秋津原」。
    河内から大和盆地に入ろうとして、土地の豪族、長髄彦(ながすねひこ)に阻まれた神武天皇は、三本足のヤタガラスに導かれ、紀伊半島南部から紀伊山中を北上し、大宇陀を経て大和盆地に達しました。そしてある時、葛城山麓の丘に立って、憧れの地を国見したことでしょう。
    その証のように、秋津原には「国見山」の名も見られます。

    そのときに、「秋津原」の盆地を見下ろして詠んだ歌。
    「妍或乎(あなにや)、国を獲つること。内木綿(うつゆふ)の真迮(まさ)き国と雖も蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」

    (ああ、なんと美しい国を獲たことでしょうか。狭い国ではありますが、蜻蛉が臀呫して飛んでいるように、周りを山々に取り囲まれているのです)
    「蜻蛉(あきづ)」とはトンボのこと、「秋津原」の地名の由来は、「蜻蛉(あきづ)」なのでしょう。

    日向を発った天孫族にとって、大和盆地は憧れの地であり、丘から見下ろした秋津原は、想像通りの豊かな風景だったことでしょう。
    こうして大和盆地西南の葛城山麓から大和盆地東南の飛鳥の地へ、さらに大和三山に囲まれた藤原京、大和盆地北部の平城京へと政治の中心は移っていきますが、いずれにしても大和盆地は天孫族の憧れの地であり、古代人の好んだ風景の典型だったのでしょう。
    古代人にとっては、広大な大地よりも、山懐に佇む丘と平地が織りなす小さな盆地の方が心和んだにちがいありません。
    コメント5件を表示する 2012/06/08 23:32

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