スローネットは新サイトに移行いたしました。今すぐアクセス

  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)






    二上山(ふたかみやま)―大来皇女の哀しみ

    かねてから二上山の夕染めの姿を、山麓から眺めてみたいと思っていました。それは幾多の万葉人が大和盆地から眺めてきた風景です。師走の風が二上山を越えて山裾に届く今日、ため池のそばにたたずみ、夕暮れを待つことにしましょう。黄昏にはまだ早い青墨色の二上山の影が池の水面に映ってさざなみに揺れています。
    やがて紅紫に染まった空に、二上山の雄岳と雌岳の影だけが残り、冷えびえとした空気が足元に漂いはじめます。この情景は、山裾に立つ人を万葉の大和へと誘ってゆきます。

    「うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を 兄弟(いろせ)とわが見む」
    (大来皇女)
    大津皇子の同腹の姉、大来皇女(おおくひめみこ)は、伊勢神宮から大和に戻り、二上山頂に埋葬されている弟を思い、明日より二上山を弟と思って眺めようと、万感の想いで歌っています。
    大津皇子は、天武天皇と大田皇女(おおたのひめみこ)との間に生まれた皇子ですが、母は早く死に、天武天皇と大田皇女の妹、鸕野讃良皇女(後の持統天皇)の間に生まれた草壁皇子が皇太子となりました。そして天武天皇の死後わずか十五日目に、大津皇子が皇太子を倒そうと謀反を計ったという理由で極刑を科せられました。
    歴史に疎い私には、そのへんのいきさつはよく分りませんが、余りに話がうまく出来すぎているような気もします。鸕野讃良皇女が、我が息子、草壁皇子を皇太子にするためには、姉の息子の大津皇子の存在が目障りであり、逆謀反として大津皇子を殺害する口実にしたとも言われています。
    そして遺体はこの二上山山頂に埋葬されました。それにしてもなぜ二上山山頂に葬られたのでしょう。真相はすべて二上山の藪の中であり、二上山だけが大津皇子の極刑の真相を知っているのです。山頂説に対して異論もあるようですが、それは歴史家に任せることにしましょう。
    初冬に向かう野辺に佇んでいると、二上山の頂に大津皇子の無念の魂が浮遊し、夕染めの中に大来皇女の哀しみが漂い、山麓の池には忌まわしい歴史の影が沈殿しているような気がしてきます。

    いずれにしても、大津皇子の無念と大来皇女の哀しみなしに、二上山の夕暮れどきの情景は存在しません。二上山は登る山というよりも、山裾や纏向の丘に立って、夕紫の残照の下で、大津皇子と大来皇女の声に耳を傾ける山なのでしょう。また富士山のように仰ぎ見る山というよりも、しみじみと心通わせる山なのでしょう。
    そして山という存在を超えた人格を持った「弟」であり、万葉の歴史の語り部でもあるのです。こうして山裾に佇んでいると、万葉人の山に対する細やかな感受性を想わずにはおれません。

    コメント6件を表示する 2012/07/17 02:04

    原風景を歩く(O.C.)のイメージ

    原風景を歩く(O.C.)

    サークル
    パブリック
    誰でもフォロー可