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  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)



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    国木田独歩の『忘れえぬ人々』

    旅での出会いは偶然であり、ときにはそれを機会に交流がはじまることもありますが、そのほとんどが一瞬であり、再び出会うことはめったにありません。しかし一瞬の出会いが、人の心に深く焼きつき、その人の言葉や表情は、時を経ても消えることなく、心に残る場合があります。そんな記憶が旅の風景や季節を鮮明にし、旅を豊かにしてくれるのです。
    路地に座っていた少年にカメラを向けると、サングラスをかけてポーズをとってくれたときの記憶。その得意げな笑顔が、ミコノス島の白壁と重なって蘇ってきます。尾道の坂と石段の路地を歩いていたときに、買い物袋を下げ、こうもり傘を杖にして、石段を登ってきたおばあさん。これが私の生まれ育った町だよという表情です。四国の疋田の町で、たまたま通りがかった私に声をかけ、「ここはええ町じゃろう」と自慢していたおじいさん。路地に漂う醤油の香りとともに記憶に残っています。

    国木田独歩は、小説『忘れえぬ人々』の中で、「親とか子とかまた朋友知己そのほか自分の世話になった教師先輩のごときは、つまり忘れえぬ人とのみはいえない。忘れてかなうまじき人といわねばならない。そこでここに恩愛の契りもなければ義理もない、ほんの赤の他人であって本来をいうと忘れてしまったところで人情も義理をも欠かないで、しかもついに忘れてしまうことのできない人がある」と述べています。
    『忘れえぬ人々』の主人公の文学者、大津は、多摩川近くの溝口の旅人宿(はたごや)「亀谷」でたまたま出会った画家、秋山と夜を徹して文学論や宗教論について談話(はなし)ました。大津の持っていた書きかけの原稿の表紙には、『忘れえぬ人々』と書かかれていました。
    大津は話します。
    十九歳の頃、体の具合が悪く保養する気で、東京の学校から国へ、瀬戸内通いの汽船で帰る途中だった。健康がすぐれず物思いに沈んでおり、船からは菜の花と麦の青葉とで錦を敷いたような島々が霞の奥に浮いているように見えていた。船長のことも、話しかけたと思われる乗客のことも憶えていない。憶えているのは甲板から見えるさびしい島で、二三歩(ふたあしみあし)あるいてはしゃがみ、何かを漁って籠か桶に入れている人影だった。そしてこの十年間、何度もこの人影を想い起こしていた。

    いくつかのそんな例をあげながら、大津は夜遅くまで秋山と話しました。
    そしてそれから二年後、彼は小説『忘れえぬ人々』を書きあげました。その小説の最後に書き加えてあった「忘れえぬ人」は、一晩徹して話し合った秋山のことではなく、その旅人宿「亀谷」の主人(あるじ)のことでした。深く芸術論を交わした人との交わりではなく、かかわりの薄い宿の主人との一瞬の出会いが、大津の心に何を残したのでしょう。独歩は、それが「忘れえぬ人々」だと述べています。

    旅の前後はおぼろげになり、出会った人の顔の記憶は消え去っても、そのとき交わしたひと言や一瞬のしぐさが、旅人の想いやその土地の風景と交わって、「忘れえぬ人々」として旅の記憶に鮮やかな残像を結んでいるものです。
    夜更けに、ひとりそんな人のことを想い返していると、旅先の河原で拾った小石を久しぶりに小箱から取り出したような気分になります。
    コメント6件を表示する 2012/08/13 23:52

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