スローネットは新サイトに移行いたしました。今すぐアクセス

  • サークル名:原風景を歩く(O.C.)








               湖北の十一面観音 
            「この人は・・・・・、この人は・・・・・」

    夕暮れ近く、湖北の町を十一面観音を訪ねて歩いていました。
    道が山に消え入りそうなあたりで、小橋を渡って細道をたどると、山裾から少し石段を上った丘に、石道寺の小さなお堂が見えはじめます。無人のお堂のようですが、拝観を願える人がいるだろうか、拝観時刻に間に合うだろうかと思いながら、石段を上ります。

    お堂の隣の小屋に私と同年輩の女性がおり、拝観を願い出ると、お堂の扉を開け、ゆっくりと蔀戸を上げてくれます。寺の人ではなく、この村の人のようです。
    暗がりに仄かな光が差し込み、しばらくするとお堂の中の暗さにも目が慣れてきます。厨子を開けてくれると、そこには予期した以上の十一面観音像。大寺院で国宝として収蔵庫に収められた観音像とは異なり、ここの観音様は、小さなお堂で数百年間村人によって守られてきた姿のままです。小さな厨子がいくつかあり、ひとつひとつ扉を開き、仏様を「この人は・・・」、「この人は・・・」という調子で説明してくれます。この女性にとって、仏様はありがたい信心の対象である一方で、この村で世代を越えて、数百年間共に生きてきた「村人」でもあるようです。

    織田氏と浅井氏の姉川の戦いで、湖北の寺のほとんどは焼きつくされました。そのとき村人たちは、十一面観音はじめ、仏像を土中に埋めたり水中に沈めたりして、戦火から守り、それ以来、村人の手で小さなお堂を建てて、数百年間お守りしてきました。
    この村では、先祖代々、仏様と村人は共に暮らしてきたのです。仏様も村の一員のようです。村人がそう思っているばかりでなく、仏様もそのつもりかもしれず、女性の「この人は・・・・・」という言葉には何の違和感もありません。
    この村には、「信仰」という言葉よりも、「信心」という言葉が似合いです。「信仰」という言葉には、「仏を崇める」というニュアンスが含まれるでしょうが、「信心」という言葉には、「仏とともに生きる」というようなニュアンスが感じられるのです。

    観音様へのお参りを終え、女性にお礼を述べてお堂の石段を下り、鶏足寺に向かう細道をたどると、楓の滴るような緑が空中に沁み出し、頭上で日暮れ近い陽光と絡み合っています。この陽光と萌木色とおだやかな空気が漂う細道を、お堂での勤めを終えた観音様と村人が、数百年間変わらず、夕暮れ時に散策してきたことでしょう。

    コメント8件を表示する 2012/09/24 00:48

    原風景を歩く(O.C.)のイメージ

    原風景を歩く(O.C.)

    サークル
    パブリック
    誰でもフォロー可