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  • サークル名:写真しりとり

    みなさん、おはようございます。

     台風の被害はなかったでしょうか。こちら滋賀も久しぶりの台風らしい台風でした。

     地元では、お多賀さんと呼ばれ、ご祭神は天照大神の親神様、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の2柱を祭神としています。
     このため、お伊勢お多賀の子でござる」とうたわれています。
     延命長寿、海運、縁結びの神様として信仰されてきました。
    この多賀大社の社殿のそばに「多賀の寿命石」という石があります。



     今から八百余年前、治承4年(1181年)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にした事件。いわゆる南都焼討(なんとやきうち)がありました。平氏政権に反抗的な態度を取り続けるこれらの寺社勢力の討伐を目的としており、治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役のひとつです。
     俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は後白河上皇から、この南都東大寺再建の大勧進を仰せつけられたのです。
     すでに齢61の重源が、着工時に成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠(さんろう)したところ、夢に天照大神が現れ、「事業成功のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」とのお告げがありました。 重源が多賀大社に参拝すると、ひとひらの柏の葉が舞い落ちてきた。見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものであった。「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、これは「(寿命が)二十年延びる」と読み解けました。
     神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は、以後20年にわたる努力を続けて見事に東大寺の再建を成し遂げたのです。

     鎌倉時代の61歳は、すでに当時の平均寿命を超えていたのではないか、そんな歳から始める大事業です。
     おまけに、再建するための費用まで工面して始める事業だったようで、まず寄付集めからのスタートだったのでしょう。
     焼き討ちのため建物だけでなく大仏さまも相当損傷を受けているはずなので大仏さまの補修も必要であったと考えられます。
     と云うことでこれは相当な難事業であったと推測されます。

     再建を成し遂げた後、重源は多賀大社に赴き報恩謝徳の御礼のお参りをしました。お参りの後に境内の石に座り込むと眠るように極楽往生したといいます。
     境内にあるこの「寿命石」がその石なのです。
     寿命石はその由緒を伝える石として、今も延命を祈る人が絶えません。
     そんなことを思いながらこの石をみているとこの石に重源さんが腰掛けているように見えてきました(笑)
    コメント3件を表示する 2014/08/11 04:18

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