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  • サークル名:写真しりとり

    みなさん、おはようございます。

     連日の高校野球は郷土のチーム以外の対戦カードであっても、いろいろドラマがあり見ていて楽しいものですね。

     写真の像は、「桜井の別れ之像」で、楠木正成と息子正行(まさつら)の像です。私はこのような像は初めて見るのですが、この故事については、あやふやながら聞いた覚えはありました。
     この像は、近江の日野商人の郷で、日野の小学校校庭にあったものですが、先の戦争に破れ、占領軍が忠義を重んじる教育を否定したため、行き場を失い、同町の馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじじゃ)の境内に運ばれて、今ももここに移されたままになっていました。
     タイトルはそのまま「桜井の別れ之像」とします。



     鎌倉幕府攻略を画策していた後醍醐天皇を擁する新田義貞と、後に光源天皇を擁立した足利尊氏とが対立し覇権を争いました。
     一旦は後醍醐天皇方が勝利し『建武の中興』が起こり、尊氏は九州に逃れました。
     しかし、尊氏はすぐさま九州を攻略し、数十万の軍勢をもって山陽道を東進してきて、それを数万の朝廷方の軍勢をもって決戦しようとした、というのがこの「桜井の訣別」の背景です。
     楠木正成はそれまで皇軍として数々の戦功を挙げてきましたが、その時ばかりは討死を覚悟し京都を出発します。
     同行してきた息子正行(まさつら)に櫻井の駅(現:大阪府三島郡島本町桜井)で”国へ帰れ”と命じます。
     ここで云う駅は古代の律令制度下で駅逓事務を取扱うため設定された町場の事で、鉄道の駅の事ではありません。
     ”いやです、一緒に戦います”という正行に”このままいけば、尊氏の天下となるから、お前は早く大きくなって、天皇をお守りしろ”、と言って泣く泣く別れます。
     その後、楠木正成は「湊川の戦い」で討死し、足利尊氏の天下となり室町幕府が興りますが、後醍醐天皇は吉野に逃れ、南朝を設立てます。
     よって、これより南北朝時代がはじまることになったのです

     現代の一般的な感覚からは、「桜井の別れ」の故事や、正成・正行等の生き様には、「天皇への絶対的な忠誠」というものがおそろしいほど感じられます。
     それだけに“時代錯誤”的な違和感を感じてしまうのですが、やはりこれは戦後教育の影響なのでしょうかね。
     教育は大事だ、誤れば恐いとつくづく思った次第です。
     

                                                                                                                                                        
    コメント4件を表示する 2014/08/19 04:10

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