スローネットは新サイトに移行いたしました。今すぐアクセス

  • サークル名:写真しりとり

    みなさん、こんにちは。

     広島では凄い災害が発生していますね。雨がこれほど恐いとは思いませんでした。
     こちらは、朝から暑いです。
     前にアップしたことのある、白鬚神社のすぐ近くなのですが、雨のなかを最後の見学地「鵜川48体石仏群(うかわしじゅうはったいせきぶつぐん)」へ向かいました。
     国道でバスを降り、雨にぬれた山道を少し歩くと草深い山中に共同墓地がありました。
     その墓地の最前列に花崗岩で作られた、高さ1.6mの阿弥陀如来像がかたまって並んでいます。これが「鵜川48体石仏群」です。
     タイトルはしりとりなので「鵜川48体石仏」とします(笑)



     この石仏群は、室町時代後期に観音寺城(現安土町)城主の六角義賢(よしかた)が亡き母の菩提を弔うため、観音寺から見て琵琶湖を挟んだ西方の高島市鵜川のここを極楽浄土に見立てて造立したと伝えられています。
     また石仏はいずれも東を向いて、すなわち観音寺城の方を向いて静かに並んで座っていました。
     このとき義賢は32歳でした、その後1568年に織田信長に観音寺城を攻められ、義賢は観音寺城を放棄して甲賀に退き、その後観音寺城へは戻ることはなかったと云うより、戻れなかった。
     これも歴史のアヤなのでしょう。
     当時はここは墓地ではなく、また今のようにかたまって並んでいたのではなくこの周辺にゆったりと立てられていたとのことです。 その後に鵜川地区がこの地を共同墓地とするために。点在していた石仏を今のところにまとめて並べられた結果このような集合石仏群になりました。
     石仏は、大きさも形も少しずつ異なり、あどけない顔・やさしさに満ちた顔・凛とした顔など個性豊かな表情をしていました。
     幾つかの石仏の中には首が取れて補修されているのがあったが、そのときは何も思わなかったのだが、今考えるとこれは多分、積年の傷に水が入り、これが冬の寒さで氷となり膨張することで徐々に破壊させていったのではと思います。
     現在石仏はここ鵜川には33体しかありません。残りの15体のうち13体は大津市坂本の慈眼堂に安置されているとのことです。残り2体はなんと残念なことに昭和に入ってから盗難にあい今も行方知れずになっているとのことです。
     何ともバチあたりな泥棒もいたものですね。 
    コメントする 2014/08/20 13:55

    写真しりとりのイメージ

    写真しりとり

    サークル
    パブリック
    誰でもフォロー可