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著者=檜山良昭 プロフィール

第39回 お手伝いさんの変遷とその世相

○ボロボロの雑誌から

 私の家から車で30分ほどの場所にリサイクルショップがあります。いや、じつはリサイクルなどと名乗るのもおこがましい。廃品よりはややましという程度の、二束三文のガラクタばかりがヤマのように乱雑に積みあがっている店です。
 店の前を通るときに、ときどき立ち寄るのです。お目当ては古本です。農家の土蔵を取り壊したときに出てきたような古本が無造作に積まれている。埃にまみれ、ネズミの糞がこびついていたりする。ネズミがかじったり、虫が食ったボロボロの本や雑誌が大部分です。
 古本大好きの私には、これがお宝なのです。2年程前には「婦人世界」(実業の日本社)という月刊雑誌が20冊ばかり積まれていた(後で数えると26冊でした)。顔見知りの店主に値段を尋ねると、「3000円でいいですよ」と吹っかけるから、「僕が買わなきゃ焼却炉行きだぜ。1000円だけ置いてこう」と言って、千円札を渡して強引に持って帰りました。

○堀内新泉の詩

 明治39年1月創刊の第1号に詩人で小説も書いた堀内新泉が面白い詩を書いている。この人は明治時代後半から大正時代にかけて詩や小説を書いたが、作品は多くない。明治6年に生まれたそうだが、いつのまにか世間から消え、いつ亡くなったかもわからない。生涯が謎に包まれた作家です。

 今日はこの詩を紹介しましょう。
  題は「下女の歌」と言います。

「一. 家の奥様何している?
    炬燵でお芋を食べている!
    おらアはここで何している?
    流しでお釜を洗ってる!

「二. 家の奥様何している?
    炬燵で新聞読んでいる! 
    おらアはここで何している? 
    赤子のオムツ洗っている!

「三. 家の奥様何している?
    炬燵でミカン食べている! 
    おらアはここで何している?
    便所の掃除をやっている!

「四. 家の奥様何している?
    炬燵でいびきをかいている! 
    おらアはここで何している?  
    お米をシャキシャキ研いでいる!

「五. 家の奥様何している? 
    お餅を焼いて食べている! 
    おらアはここで何している?
    表の格子を拭いている!

「六. 家の奥様何している?  
    旦那とお酒を飲んでいる! 
    おらアはここで何している? 
    ひびの痛さに泣いている!

「七. 家の奥様何している?
    旦那に春着をねだってる! 
    おらアはここで何している? 
    ひとりで雑巾刺している!

「八. 家の奥様何している? 
    旦那に芝居をねだってる!
    おらアはここで何している? 
    親を思って泣いている!

「九. 家の奥様何している?
    髪をきれいに結わしてる! 
    おらアはここで何している? 
    頬の鍋ズミ落としてる!

「十. 家の奥様何している?  
    旦那の前でふてている! 
    おらアはここで何している?
    こっそり鼻歌うたってる!」
 

 暗い詩になってしまうところを、最後の「こっそり鼻歌うたってる」という言葉が「フッフッ……」と笑いを誘い、救いとなっている。
 江戸時代には「下女」と「女中」は区別されていた。「下女」は平安時代ごろには「賎女」(しずめ)と呼ばれ、江戸時代には「端下女」(はしため)、あるいは「はした」と呼ばれて、炊事洗濯拭き掃除などの肉体労働に従事していた。下女は「端下」という言葉がものがたるように、一人前の人格として認められてはいなかった。
 ただし、商家などでは、さすがに「下女」とは呼びにくく、「お鍋」とか「おさん」とか呼んでいた。

○「下女」が不足して

 堀内新泉がこの詩を書いたのは明治39年であるが、日清戦争後の明治30年ごろから下女のなり手がないのが話題となっている。戦争景気によって工場が林立したために、農村の若い娘が下女奉公を嫌って女工となったからである。そして、これはこれで細井和喜蔵の著書である『女工哀史』というノンフィクションを産むわけだが、下女の話に戻れば、下女不足が下女の立場を強めることとなった。

 挿絵は明治32年12月21日の朝日新聞の記事である。
 この記事にこうある。
 「日清戦争後会社工場競い起こりて男子はもちろん女子にして普通の家に雇われる者、すこぶる少なくなりしことは既に何人も知るところなるが、本年の如きは雇女とくに払底を告げ、その給料も昨年に比して二割強に値上げしたり」

イメージ  挿絵漫画では、奥様のほうが「大きに御苦労だったねえ。くたびれたろう。サアサア、肩をもんであげよう」と、タバコを吸っている下女の肩をもんでいる。これに対して、下女は、「どうぞ御頼み申します。そうして憚りですが、お手が明けましたらお米を炊いておいて下さいな」と言っている。
 堀内新泉が詩を書いたころには、下女の地位も高くなっていた。
 その下女が「女中」と呼ばれるようになったのは大正時代。大正デモクラシーや社会主義運動の高まりの影響もあって、「下女募集」では若い娘が集まらなくなった。そこで一各上の「女中」に昇格させたわけだが、これでも不足すると、「女中さん」と「さん」づけで呼ぶようになり、さらに「お手伝いさん」となり、今や「ホームヘルパー」と呼ぶのだそうだ。
 こういうことで、「下女」という言葉は今や死語となっている。若い世代には「下女の歌」も、「ハテ、なんのことか?」と、理解できないかもしれません。

 江戸時代には、下女はからかいや笑いの種でしかなかったようです。下女を対象にした川柳はたくさんありますが、いくつかを紹介しましょう。

 「いやらしや 下女しゃらくさい きゃらくさい」
  (田舎から江戸に出てきたとたんに色気づいて遊女のような厚化粧などをする)
 「赤い毛が黒むと国をおかしがり」
  (手入れもしないような赤毛の田舎娘が江戸で下女奉公をする間に小奇麗な黒髪になると、自分の故郷を馬鹿にするようになる)
 「嘘をやと下女甘たるい目つきをし」
  (下女を口説いたところ、嘘ばっかりと言いながら、まんざらでもない目つきをする)
 「奥様の爪紅残る下女が股」
  (主人と下女との仲を疑った奥様が下女を折檻する)
 「御次男に下女初物を奉り」(説明不要)
 「不器量でわたしゃ初さと知れたこと」
  (下女が私は初めてよというが、不器量な顔を見れば、そんなことはわかってらあ)
 「とは知らで下女が行灯下げてくる」
  (さてこれからと、後家さんを口説いて、上に乗りかかったところに下女が行灯を下げてやってきた)
 「二杯だと下女と争う掛かり人」
  (掛かり人とは居候。ご飯のお代わりが3杯目だ、2杯目だと下女と言い争う)


【画】奥様と下女とが立場が逆転した風刺漫画です。面白いので転載しました。
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