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著者=檜山良昭 プロフィール

第46回 平賀源内を感動させた放屁男

○花咲男が江戸中の話題をさらう

イメージ  安永3(1774)年4月と言います。江戸両国広小路の近くに「昔物語 花咲男」と大書した幟を立てた見世物小屋ができた。これが江戸で大評判となった「放屁男」です。
 木戸銭を払って内に入ると、正面に高座がある。20人も座ればいっぱいになってしまうような小さな小屋です。
 花咲男は中肉で色白く、三日月形の撥鬢奴(ばちびんやっこ)に頭を剃り、なかなかの粋な中年の男だった。薄い藍色の単(ひとえ)の下に緋縮緬の襦袢を着ていた。
 さて、その芸とは。

 私が書くよりも、友人数人を誘って見物に行った平賀源内の筆を借りたほうが真実味があるでしょう。
 「口上さわやかにして憎げなく、囃子にあわせてまず最初がめでたく三番叟屁。トッパヒョロヒョロピッピッピッと拍子よく、次は鶏東天紅を、ブブブウーブウとひりわけ,そのあとが水車、ブウブウブウとひりながら、己の身体を車がえり、さながら車の水勢に迫り、汲んではうつす風情あり」
 この花咲男ですが、階段屁や数珠屁はいとも簡単に鳴らす。
 ここで注釈すれば、階段屁とはドレミファソラシドというように、段々に音程が高くなる屁です。都都逸に「はしごという名のおならをすればだんだん臭いが高くなる」というのがありますから、音程とともに臭いもきつくなるらしい。
 数珠屁とはブ、ブ、ブ、ブと、数珠の玉のように同じ音が続く。かなり難度が高い技術です。

 三味線の砧(きぬた)、すががき、三番叟、三つ地(能楽の囃子)、七草(篳歌)、祇園囃子は言うもさらなり。犬や鶏の鳴き声、花火、水車、長唄の道成寺や菊慈童、端唄、めりあす、伊勢音頭、一中節、半中節、土佐節、文弥節、半太夫節、河東節、義太夫節など。ありとあらゆる音曲を吹き鳴らす……というのですから驚きです。たちまち江戸中の話題をさらって、小屋は押すな押すなの大盛況。「花咲男」というのが看板でしたが、人々は「放屁男」と呼ぶようになりました。

○芸の高さに感動した平賀源内

 大正時代に浅草の太鼓持ちで、阿房屋鈍助というのが曲屁の名人と言われた。「煙も見えず 雲もなく 風も起こらず 波立たず 鏡の如き黄海は 曇りそめたり 時の間に……♭♭」「勇敢なる水兵」を奏でるとか、「阿蘇の山里 秋ふけて 眺め寂しき 夕まぐれ……」
 と「孝女白菊の歌」を奏でたと言う。
 ただ、鈍助は「天長節」の歌(「今日の吉き日は大君の 生まれたまいし吉き日なり 今日の吉き日は御光のさし出たまいし 吉き日なり……」)を奏して、不敬罪で警視庁に引っ張られ、油を絞られた。このために曲屁を止めてしまったというから、放屁男のレベルまでは到達していなかったかもしれません。

 放屁男の芸の高さに感動した平賀源内は、ただちに筆を執って『放屁論』を著しました。
 「それ天地の間にあるもの、みなおのずから上下貴賎の品あり。その中に至りきわまりて、下品とするもの大小便にとどまる。いやしきたとえを漢にては糞土といい、日本にては屎のごとしと。その糞小便の汚きも、みな五穀の肥やしとなりて万民を養う。ただ屁のみひった者、暫時の腹中が心地よきばかりにて、無益無能の廃り物なり。音あれども太鼓や鼓のごとく聞くものにあらず。匂いあれども伽羅麝香のごとくに用ふべき用なし。かえって人を臭がらせ、にらにんにく握りッ屁と悪口を言われ、空より出でて空に消え、肥やしにさえならざれば、みじん用に立つなし」

 このような無用無益の屁を種にして、師匠から教わったわけでもなく、ひいき筋の引き立てがあるわけでもないのに、「木正味(生粋の性格)むきだしの真剣勝負、二寸に足らぬ尻穴にて、もろもろの歌舞伎や浄瑠璃の小芝居をひとまくりにひりつぶすこと、皆が屁威光(閉口)とはこのことにて、地口のしゃれで言えば、屁柄者(手柄者)なり」
 と、放屁男を絶賛する。


○屁道の奥義を極める

 歌舞伎や浄瑠璃の芸人は口伝や師匠があって芸を学ぶのだが、それでも下手が少なくない。これにくらべて放屁男は「自身の工夫ばかりで、師匠なければ口伝なし。物言わぬ尻分かるまじき屁にて、開合呼吸の拍子を覚え、五韻十二律がおのずから備わり、その品々をひりわけること、下手浄瑠璃の口よりも尻の気取りが抜群によし。奇といわんや妙とやいわん。まことに屁道開基の祖師なり」
 平野山人が『薫響集』を書いてから17年後、ついにというか、とうとうというか、屁道の奥義を極めた人物が出現したわけです。

 この放屁男のことは実名も経歴もわかっていません。夏には見世物小屋を畳んで、どこかにいってしまった。どこで興行していたかも記録がありません。どこからともなく江戸にやってきて、話題をさらった後に、すうっと消えていきました。
 その後、いろいろな大道芸人が現れましたが、彼に類するような放屁男は現れません。それだけ難解な芸だといえましょう。
 平賀源内は『放屁論』の最後でこう言っています。
 「もしも賢き人ありてこの屁のごとく工夫を凝らし、天下の人を救いたまわば、その功大ならん。心を用いて修行をすれば、屁さえもかくのごとし。ああ、済世に志す人、あるいは諸芸を学ぶ人、一心に務めれば、天下に鳴らんこと、屁よりもまたはなはだし」
 源内がほんとうに言いたかったのは、このことなのでしょうね。

 さて、3回にわたり「おなら」を取り上げましたが、この話題はこれで打ち切ります。これ以上続けると、「屁フェチ」ではないかと疑われる恐れがありますので。
 それでは楽しい週末をお過ごしください。


 平賀源内作のおならに題をとった狂歌です。
  「霞み立つ春の山屁は遠けれど ふく春風は花の香ぞする」

【画】放屁男の絵は掲載が憚れるような俗悪なものですので、代わりに講釈師である深井志道軒を載せました。手に木彫りの男根を持ち、シモネタと悪態で人気を博しました。平賀源内が賞賛したことでいっそう有名になりました。源内は放屁男や志道軒のような奇人を好んだようです。
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