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著者=檜山良昭 プロフィール

第231回 「師走」と言葉の意味

○「師走」の語源

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 今年もいよいよ押し詰まってまいりました。陰暦では12月は「師走」。「1年の計は元旦にあり、1年の締めは師走にあり」と言いますが、皆さんは今年元旦に計画したことがらを成就なされましたか?
 私なんぞは、毎年正月には「今年こそ」と計画をたて、ふだんの怠け心を奮い立たせるのですが、だいたい三日坊主に終わり、「つもり」の半分もできはしない。それで、師走になれば、「まあ、いいや。来年に頑張ろう」と、来年回しにするのが恒例と化しております。

 さて、この「師走」という言葉、書生たちが師のもとに出かけて、1年間お世話になったお礼を言う、あっちの師、こっちの師とお礼まいりに走るので慌しい。それで「師走」という……というのは俗説です。

 「しわす」とは「しねはつる」ではないかと言われている。「しね」とは年貢として納める穀物のこと。「はつる」とは「果てる」で、物事が終わったという意味です。
 古代においては秋に収穫した穀物の年貢を納めきるのが年の最後の月。年貢納めの月という意味で、「しねはてる月」と言った。これが訛って「しはす月」と呼ぶようになり、「師走月」という漢字を当てたらしい。

○「孫の手」「夜鍋仕事」「総領の甚六」「お玉杓子」

 言葉が本来の意味から外れて使われている例は他にもたくさんあります。思いつくままにあげてみましょう。

 我々が背中を掻くときによく使う「孫の手」。本来は「麻姑(まこ)の手」です。麻姑とは中国の伝説上の仙人で、鳥の爪のように指の爪を長く伸ばしている。背中を掻く道具が麻姑の爪を連想させるので「麻姑の手」と呼んだ。これがいつの間にか「孫の手」に変わってしまったのです。

 徹夜でする仕事を「夜鍋仕事」と言ってます。本来は「夜延べ仕事」です。仕事が夜まで延びるから「夜延べ」ですが、「夜鍋」になってしまった。「鍋」では意味が通じません。

 「総領の甚六」。本来は「総領の順禄」です。総領が禄、つまり家禄を継ぐのが順当だから「順禄」ですが、総領はおっとり、のんびりしているのが多いので、「甚六」と悪口を言われた。

 「お玉杓子」。杓子は柄が真っ直ぐなのに、多賀神社の清め用の杓子は柄が曲がっていた。そこで柄が曲がっている杓子を「お多賀杓子」と呼んだのが始り。それが訛って「おたまじゃくし」となってしまった。杓子が半球であるころから、「おたま」のほうが正しい呼び方だと庶民が勘違いをしたのでしょう。

 私たちが良く使う「牛の骨とも馬の骨とも」というのも、本来は「氏の育ちとも生まれとも」が誤って流布してしまった。「氏」が「牛」になり「生まれ」が「馬」になってしまったわけです。

○文化の勘違いも

 本来の意味から外れてしまった言葉は無数にある。言葉ばかりか、文化の勘違いも少なくない。

 今年の干支である「猪」だって、干支を作り出した中国では「豚」の意味であった。家畜としての豚を知らない我々のご先祖が猪と勘違いをしてしまったらしい。
 家の中の「敷居」と「鴨居」だって、本来は中国で火災除けの呪いとして、水辺の鳥である鴨を壁や戸の下側に描いたり、彫ったりしたのが起こりです。そして上には空を飛ぶ鴫を描いた。
 ところが、我等が御先祖はその意味のなんたるかを知らないままに、空を飛ぶべき鴫(しぎ)を下に置いて「敷居」と称し、水の中を泳いでいる鴨を上に置いて「鴨居」と称している。中国の先進文化を取り入れたと、得意になっていたのでしょう。

○で結論は

 さて、文部省だのNHKが、「正しい日本語を使いましょう」と呼びかけていますが、正しい日本語とはいったい何時の時代の日本語を言うのでしょうか。昭和時代? 明治時代? 江戸時代? 平安時代? そういう疑問が浮かびます。

 言葉は人々の生活実感のなかで変化する。いくら中国通の学者が、「これは孫の手ではない。麻姑の手と呼ぶべきである」と言い張っても、「麻姑なんてしらね。孫に背中を掻いてもらうような気持ちよさだから、孫の手でよかんべ」というのが庶民なのです。
 ですから、「これが正しい日本語が使われた時代だ」だという基準点があるわけでもない。また、現在使われている言葉を本来の意味に直して使おうとしたら大混乱が起きるでしょう。
 多数の人が使っていれば、それが意味違いであっても別にかまいはしない。目くじら立てて咎めるほどのことではないでしょう。変化するに任せておけばいいのではないでしょうか。

 「日本語をたいせつに」と言っているNHKのアナウンサーですら、「女形(おやま)」を「おんながた」と読み、「十八番(おはこ)」を「じゅうはちばん」と読んでシレッとしているご時世です。それで今や誰もNHKにクレームもつけない。「しはす」は「師走」でいいのです。

 年をとると、年が過ぎるのが嫌になります。「若いときは1年が遅く、年をとると1年が早い」と言いますが、本当に1年が早い。年末を関所に譬えた狂歌です。

 「願わくば通り手形をうち忘れ 後に帰らん年のお関所」

方赤良作

【絵】江戸時代の「歳の市」の賑わいです。江戸の各所に市が開かれて、正月用品が売り出された。大晦日の夜が「捨て市」といって、残った商品を捨て値で売りさばいた。商人にとっては年の瀬は稼ぎ時でもありました。正月用品の買い物などは商人たちに乗せられた観があるような気がします(『絵本 江戸東京年中行事』から転載)。
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