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いきいき大人見聞録 画像

小木曽教彦さん (陶工)
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「スローな手作りにこだわる
それがリサイクルにもつながる」


第1回

量産時代の反逆児

 多治見の陶工・小木曽教彦さんは、美濃焼の伝統継承に情熱を注いでいる。その活動は陶芸制作だけではなく、陶器のリサイクル、滞在型陶芸体験のススメなど多岐にわたる。
 市之倉の山間にある住吉窯を訪ね、お話を伺った。

メインはご飯茶碗

=小木曽さんの器作りはご飯茶碗がメインと聞きました。なぜご飯茶碗にこだわっているのでしょうか。

 ご飯茶碗にこだわるのは、それが私たちが毎日手にする器だからです。主食であるご飯を入れる器が一番だいじだと思います。作者の心がいちばんよく伝わるのが毎日手にするご飯茶碗ではないでしょうか。

 いまたとえば10,000円する抹茶茶碗を買うことはあっても、3,000円のご飯茶碗を買うことはなかなかありませんね。ほんとうは毎日手にしている、主食となるご飯を盛る茶碗が一番だいじだと思いますが、それにはたいしてお金をかけません……、これは毎日の生活から考えると少しいびつなような気がしています。

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▲茶碗交換会でもらった、生徒たちが使っていた茶碗も保存している

 いま市内の南ヶ丘中学校では1年に数日、“故郷茶碗の日”が設けられています。その日には、給食のとき私が寄贈した手作りのお茶碗でご飯を食べてもらいます。器を手にして食事をしてもらうことを通じて、器の大切さと、焼きもののあたたかさが伝われば、と思っています。多治見は長い歴史を持つ陶器の里ですから、子どもたちには、手作りの器に触れてほしい、そう願っています。

 もうひとつ、やっていることがあります。毎年中学3年生が卒業するとき、茶碗の交換会をしています。
 これは、生徒たちが家庭で使っていた茶碗と、私が作った茶碗を交換するものです。こうすれば生徒たちには、手づくりのご飯茶碗に毎日接してもらえます。いまは手づくりの器と接する機会が少なくなってきましたが、交換会を通じて、手づくりの器に触れる機会が増えます。
 また私にしても、いま家庭でどんな食器が使われているのか、そのリサーチにもなります。この交換会はもう5、6年続けています。

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▲住吉窯の穴窯

 和食は素晴らしい。食材、味、盛り付け、それらが織りなす食の芸術、文化とも言えます。しかしこのごろ、その文化が乱れているように思います。プラスチックの味気ない器やお皿で食事がされたり、箸置きも見られなくなります。食の内容も画一的で手っとり早いものが主流になってきたようにみえます。
 そんな時代だからこそ、毎日のご飯茶碗、そして箸置きもたいせつにしたいと私は思うのです。

量産体制への疑問

=小木曽さんはいつごろから手づくりを始めたのでしょう。

 親が焼きものをしていましたから、小さいときから焼きものの世界に接していました。小学校時代も学校から帰れば、親の手伝いをしていました。

 多治見は陶芸が盛んですが、中学、高校時代ごろから、機械が導入されるようになりました。大量生産体制が敷かれ始めたのです。ローラーマシンや自働ロクロが使われるようになってきました。
 機械化で1日に1,000個、2,000個の器が作られるようになりました。勢いがありましたね。ただ、機械を購入するのに、銀行から資金を借り入れなければなりません。すると、利息を返済するのがたいへんです。手形割引の処理にも苦労させられました。いったいなんのための仕事なのだろうと疑問が湧いてきます。

 新しい機械が次々に出てきますから、また新しいものを購入せざるをえません。そうなると、もう利息返済のために仕事をしているようなものです。
 なにかおかしい、そう感じていました。

量産全盛時代に手作りへ

 私が30歳のころ、父親は現場を退きました。
 そこで私は、機械を使った量産体制を止めて、手作りでひとつひとつ作り、使う人に喜んでもらえ、たいせつにしてもらえる器ができたらと思いました。大転換ですね。
 大量生産がもてはやされた時代でしたから、私はたいへんな反逆児になってしまいました。

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 手作りにシフトしてから、新しい活動も始めました。多治見市民センター内で陶芸教室を開き、もの作りの仲間との出会いを楽しみました。
 しかし、量産体制から手作りに移るのはそう簡単ではありません。大量生産を止めたら、商社(問屋)は来なくなってしまいました。商社にとっての旨味がなくなったからでしょう。
 自分で販売ルートを開拓しなければいけません。東京・赤坂にあった銀花ギャラリーで器展を開きました。周囲からは、そんなの売れないよ、と言われましたが、3,000円のご飯茶碗が完売になりました。お料理屋さんも買ってくれました。なんとか自分の道に確信がもてるようになってきました。

作家ではなく陶工

 私は自分を作家ではなく、陶工の職人だと考えてきましたし、いまでもそう思っています。器作りは、使う人が使いやすいと喜んでくれることが一番だいじです。
 北大路魯山人のことばに「器は料理の着物」という名言があります。ともすると、作家は器が主と考えるのでしょうが、私は器を従ととらえます。
 人が毎日使ってみたいと感じるものを作りたい、それが私の願いです。

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“足しても10、引いても10”、料理を盛っても料理がなくなっても存在感のある器、そんな器が最高でしょうね!
 自分で作りたいこと、やりたいことをやり、結果として人に評価していただければ、これに勝る喜びはありません。
 もちろん、もの作りをしているのですから、夢を与えられればと思います。みなを少しひっぱれるようなものができればうれしいですね。
 でも、床の間に飾ってもらうのはまだまだ先ですね。

(つづく)

小木曽教彦さん (全3回)

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