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いきいき大人見聞録 画像

林 駒夫さん (人形作家)
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「好きなことを好きなように学んで」


第1回

趣味や余技が人形を作る


 人形作家の林駒夫さんは、昨年6月、重要無形文化財保持者の認定を受けた。いわゆる人間国宝である。江戸期から伝わる桐塑人形の伝統を受け継ぎ、その技法をもとにあらたな技を組み入れ、御所人形や雛人形などの世界を一歩踏み出した、オリジナル作品を発表し続けている。
 京都市上京区、御所のほんの西隣で、生まれたときから暮らし続ける林さんは、人形作家にはなるべくしてなったといえるのかもしれない。
 そこには、京の街、文化、歴史がすべて手の届く範囲に存在する。ご自身、「楽して生きてきた。うかうかとした人生です」と謙遜されるが、そのスローなライフスタイルには、われわれが忘れ去ってしまった、さまざまな日常がかいま見える。




料理旅館「赤尾楼」

=林さんは、生まれも育ちも京都と伺いましたが、生い立ちから、若き日の独り立ち、それから今日まで、京都という環境が、やはり、ご自身の創作に深くかかわっているのでしょうか。


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▲「有職の町で育ちましたから、子供の頃から人形作りはごく
日常的なものでした。」 (林さん)

 まったくその通りですね。
 桐塑というのは桐のおが屑を糊で固めたものを素材にして、作ります。子供の頃から、人形作りはやっていましたが、技法というのは、見よう見まねでは、どうしても修得できない。ですから、十三世面庄に師事しました。桐塑は面庄先生から学びましたが、独自の人形を作っていこうと思ったら、師匠と同じものを作っていたのではあかんのです。
 それで、能面師・北沢如意師にも教えを請い、能面もそこそこできるまで勉強しました。いろんなものに手を出して、そのエッセンスをすべて人形に注ぎ込む。これが僕の創作技法の一つです。


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乙御前(おとごぜ) 1973年
日本工芸会総裁賞受賞作品

 人形を作り出したのは中学くらいからです。家は天明の時代からこの地で料理旅館をしてました。天明なんて京都では恥ずかしくて自慢にもなりませんけど、それでも200年以上は続いてきました。屋号は「赤尾楼」といいます。
 それが第2次世界大戦で取り壊しとなり、そこがきっかけで旅館は廃業しました。父の時代です。私は8人兄弟の末子で、二人の兄とともに、だれかが旅館を継がなければならなかったのですが、この戦争のおかげ? で、その呪縛から解き放たれたのです。

=旅館を継ぐことがいやだったのですか。


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蘭陵王 2000年

 兄弟みないやでしたね(笑)。それよりももっと他の職業に就きたいと、みな考えていたと思います。その旅館は今のこの家とは、少し離れたところにありました。兄たちは大学出て、大企業に就職しましたが、私は、勉強が嫌いで、高校出てすぐ、面庄先生のところに稽古にいきました。
 これは就職ではありません。お金は貰えませんから。だから、一人で生活するという気もなく、ただ漫然と家から通ってました。生まれてこの方、ここ長者町を離れたことは一度もありません。
 それが今の僕の生活に大きく関係している、というより、生活のすべてがこの町にあるといえますね。
 ここは有職の職人が多い町でもあります。生まれたときから周りには、御所人形や雛人形など人形がごく当たり前のように存在してました。家にもたくさんの京人形がありました。
 ですから、人形はごく身近なもので、それを作りたいと思ったのも特に強い動機はなかったなあ。

王朝や人形とは、切っても切れない場所に自分がいた

=人形作りの環境がすべてそろっていた。人形を作りたければ、いつでもその世界に身を投じることができたのですね。


 平安の雅やかな世界が、すぐそこにあるのです。近所の護王神社の向いには藤原道長の邸、枇杷殿があった。そこには、娘の彰子(しょうし)の家庭教師として紫式部がいました。また、清少納言も火難に遭って一時期同じ御殿にいたと聞いたことがあります。紫式部と清少納言が同じ場所にいる。それがこの近所。京都というのは、それが当たり前の町なのです。
 御所の鶯が我が家の庭に来てさえずる。清少納言が「春は曙。……」と記した朝日と同じものを見て僕は育ってきたのです。そういうことが自分の生き様に影響を与えないはずはないと思うのです。
 僕の人形はそういう環境の中でしか生まれなかったのではないかとも思いますね。僕の作品の特徴は、じつにきっちりとしている。まじめな作品が多いといわれます。それは、そういう平安から続く王朝文化の匂いをより濃く感じさせる場所で作っているから、そう受けとられるのではないでしょうか。

=他にはどのようなものから影響を受けておられますか。


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▲「幼少期から好きだった歌舞伎や能、雅楽など、古典芸能文化のすべての要素が作品には凝縮されています。」


 子供の頃から、日本舞踊が好きでした。その後、歌舞伎、文楽、能、舞楽、雅楽と古典芸能の世界にどっぷりとつかりました。日舞から歌舞伎、これらはどちらかというと具体的な芸能で、表現されていることも、思想もわかりやすい。それが文楽、能狂言や雅楽とだんだんと抽象的な世界に惹かれていきました。特に、文楽では日を空けず、文楽座に通いました。舞台の袖で、今はもう立派な太夫になった人が、まだボンと呼ばれている頃、一緒に舞台を見たりしていました。
 人形浄瑠璃の世界は、人形を知る上でも日本の文化を知る上でもとても重要な位置にあると思います。


=林さんの人形には、それらのエッセンスがたっぷりとしみこんでいるわけですね。いわば、古典文化や情報が凝縮されているといえるのではないでしょうか。


 まあ、そんな大層なもんでもありませんけど。今の僕の作品はぼくが趣味や余技で得てきたものがずいぶんと役に立っている。というより、趣味や余技そのものが人形を作らせたといえるのじゃないかな。

(つづく)

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