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小山 慶太さん (早稲田大学教授)
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「最高の道楽『楽問』のすすめ」

学問とは、もともと好奇心と遊び心の溢れる最高の道楽だった。
年を重ねたいまだからこそ、楽問(道楽としての学問)を堪能できる。
21世紀新春を飾る特別企画――「楽問」のすすめ。


第1回

最高の道楽


熟年だから楽しめる

=小山さんは最近『知的熟年ライフの作り方』(講談社現代新書)を著して、学問を趣味、道楽として楽しむことを提唱しています。学問は昔からありますが、いまなぜ、楽問(がくもん)なのでしょうか。


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 以前『道楽科学者列伝』(中公新書)という本を書きました。あの本は、学問の原点、原風景を書いたつもりなのです。いわば学問の「歴史編」みたいなものでした。
 いま、研究、とくに科学の研究というと、職業になっていますが、歴史をふりかえると、もともとは面白いから研究をやっていただけなのです。好奇心と遊び心が融合した最高の道楽、それが学問だったのです。ですからいまでもその名残は当然あります。
 歴史に名前を残すことは普通の人には難しいでしょうけれども、自分の背丈にあった範囲で学問を楽しむことはできるはずだろうと思います。今回の『知的熟年ライフの作り方』は言ってみれば、その「実践編」みたいなものですね。


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 私は普段は若い学生と接していますが、彼らは結局、功利的な目的でまず学校に来ているわけです。いい成績をとりたいとか、いいところに就職したいとか。
 ですから、学問の楽しみがわかるのは、学生よりも、ある年齢に達した人ではないかと思います。昔と違って寿命が延びて、定年後もまだまだ元気があって、人生が長くなりました。そういうときに、昔の裕福な人や身分の高い人が学問を楽しんだように、学問を楽しむことを薦めたら面白いのではないかということを出版社の人としているうちに、『知的熟年ライフの作り方』のアイディアが生まれたのですね。

道楽としての学問

 『知的熟年ライフの作り方』ができあがる背景としては、ふたつあります。
 ひとつは、学問、研究は本来面白いものだったのです。義務や職業ではなかったのです。難しくて、大変ですが面白いわけです。だから進化して続いてきたんで、いやいややっていたら、こんなに発展はしなかったはずですからね。

 もうひとつは、定年後どういう生活を送るのかが、いま大きなテーマになってますね。そのとき、年金のことなど経済的なノウハウを書いた本はいろいろありますが、定年後の生き方や余生の質を問う本というのはなかなかない。
 学問というのは、肉体をそう使うわけではないし、とにかく熟年世代は長い人生経験があるのですから、それを生かして、何か知りたいことや調べたいことがひとつやふたつはあるだろうと思います。

 これまで一生懸命働いて、ようやく定年になってやれやれ、と思ってるわけですから、今度は自分の時間を取り戻して充実したい、という知的な満足感を求めていると思います。漫画や映画を見て面白いというのとは違う、深い快感があるだろうと思うのです。そういう知的満足感を味わうのにいいのではないか。

 普通の人はだいたい、学生のころにもっと勉強しておけばよかった、と思ってるでしょう。そう思ったら、いまからでも勉強すればよい、学生のときの何倍もね。いまは大学も社会人に開かれてますからね、何十年か後に大学に戻ってきたら気分もリフレッシュして若返るでしょうからね。そういうところから元気もでてきます。
 学問は定年後の人の道楽にはちょうどいいのではないか。


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 「楽問のすすめ」は、福沢諭吉の『学問のすゝめ』に引っかけたのです。
 あの本は明治の初期で富国強兵の時代ですから、実学の大切さを説いたわけです。でもいま日本は、社会的な問題はいろいろあるでしょうが、物質的には百何十年か前に比べれば格段に豊かになって、平均的な国民の教育水準も上がっているわけです。そうなると、「楽問のすすめ」を書いてもいいのでは、と思ったのです。


学問の原風景にもどる


=『知的熟年ライフの作り方』はとてもタイムリーです。団塊の世代の人や定年間近の人、また定年を迎えた方には参考になることの多い本かと思います。

『道楽科学者列伝』に書きましたが、科学の研究が商売になったのは19世紀に入ってからなのです。まあ、例外もありますが。
 それまではどういう人たちが科学をやってきたかというと、貴族だとか富豪だとか、社会的地位が高くて経済的に余力のある人です。そういう人たちは、普通いろいろ遊んだりお酒を飲んだり、趣味を持っていたのでしょうが、それでも飽き足らない人間がいたわけで、そういう一部の人間にとって、知的な営みというのが何にもまして面白かったのでしょうね。

 たとえばロンドン王立協会が17世紀の末にできましたが、学会というよりも、要するにお金があって頭がよくて閑暇を楽しむディレッタントの倶楽部、サークルですよね。そこで言い合って、議論して、自分で発表したり、というのが面白くて楽しくてしょうがなかったんだろうと思います。

 ところが学問というのは、だんだん進んでくると細分化して専門化してくる。そうすると細かなことで業績を競って、それが応用されて商売になるということになって、今日科学の研究をやるとなると、大学の教授になったり、国や民間の研究所に所属してサラリーをもらうってことになってきた。なんとなく、昔持っていた精神の豊かさが少なくなってきたのですね。

 私は、とくに専門にこだわらないで、好きなことを食い散らかしてきたものですから(笑)、大した業績はあげられなかったのですが、本来学問が持っていた精神の豊かさというか原風景みたいなものだけは、先祖帰りのように引きずってきたんですね。
 そういう点では、大学にずっと身を置いてよかったと思ってるのです。だからそういう体験から出た楽しさ、充実感みたいなものも、いろいろな方に伝えたいなという気持ちがあの本の中にあります。


(つづく)

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