スローネットは新サイトに移行いたしました。今すぐアクセス


スローライフインタビュー
SLOWLIFEINTERVIEW いきいきスローライフインタビュー
画像

伊東ゆかりさん (歌手)
プロフィールはこちら

★新春特別インタビュー★

“60カラットの輝き”で愛の歌を


第2回サンレモ音楽祭と「小指の想い出」




「三人娘」復活まで

=前回お話にちらっとありましたが、中尾ミエさんとはしばらく前から「ベストフレンド」というコンサートをやっていましたね。そして園まりさんも参加して「三人娘」の復活は一昨年からです。昔からの仲間と一緒にやるというのはどんな感じですか。



image

▲若き三人娘時代の伊東ゆかりさん、中尾ミエさん、園まりさん(左から)

 中尾さんとは、もうデビュー時代にワタナベプロの社長さんのお宅に一緒に下宿していましたからね。
 それ以来、離れてもずっとやりとりがありました。どちらかに不幸があれば、いつも隣にいる、そんな間柄でした。いいときも辛いときも、必ず隣にいました。ですから中尾さんとやるのは、とても自然でごくふつうでしたね。
 ミエさんと二人で舞台に立っていたときに、「園まりさんも加わって、三人でできればいいな」と思って、誘ってはいたんです。
 でも園さんは「わたしは歌謡曲系だからポップスはちょっと……」ということで、断られ続けていたんです。
 でも、「三人娘」の時代があったのは消すことのできない事実です。ですから、ミエさんは誘うのを諦めていたけれど、私は諦めずにまりさんに声をかけていました。FAXしたり、手紙を出したり、ちらちらっと誘っていました。
 そしてやっと一昨年「三人娘」が実現したんです。「ひきこもり状態の園まりさんがめでたく社会復帰を」と。これは私の言葉ではありません、「三人娘」復活の台本に書いてあるんですから(笑)。



image

▲「三人娘」の活動が評価され、国土交通大臣の感謝状を手にする伊東さんと園さん

=一緒にステージ立っていかがでした?

 まりさんは、リハーサルのときはとってもピリピリしていて、帰ってしまうんじゃないかと心配しましたけど、やっているうちにだんだん変わって、今や、まりさんが一番ノリノリではないかしら(笑)。


スパーク三人娘

=伊東さんの歌手歴はまもなく半世紀を迎えますね。


 そうですね、バンドマンだった父からジャズを学び、進駐軍のキャンプで歌い始めていましたから。



image

▲進駐軍のキャンプで歌っていたころ

=「クワイ河マーチ」でレコードデビューしていますが、私たちは、たしか音楽テレビ番組の「スパークショー」で知るようになりました。

 中尾ミエさん、園まりさんとトリオで「スパーク三人娘」としてホステスをやらせていただきました。「三人娘」は3年くらい続きましたね。


コニー・フランシスの想い出

=あの時代は、アメリカンポップスもありましたが、シャンソンがあり、カンツォーネもありました。伊東さんはカンツォーネの世界に入り、サンレモ音楽祭にも行かれましたね。サンレモ音楽祭といえば、1951年に始まり現在まで続く、名カンツォーネを次々と生み出してきたイタリアの名門音楽祭ですね。

 たまたまレコード会社との提携などもあり、岸洋子さんと一緒にサンレモ音楽祭に行くことになりました。
 海外へ出たのは、サンレモ音楽祭参加が初めてでした。ふだん着慣れない着物姿で歌いました。

=楽しい想い出がいろいろ残っているのではないですか。

 一番印象に残っているのは、私の大好きなコニー・フランシスさんと同じホテルだったことですね。
 (※コニー・フランシス=1958年~60年代半ばに「カラーに口紅」「ヴァケイション」「ボーイ・ハント」「可愛いベイビー」などの大ヒット曲を歌ったアメリカ歌手)


image

 当時のサンレモ音楽祭では、イタリアの曲をイタリア人と外国人が歌うのが決まりでした。コニーさんはジリオラ・チンクェッティさんの歌を歌い、わたしは「恋する瞳」をイタリア語で歌いました。「ルイジアナ・ママ」のジーン・ピットニーとか、「涙くんさよなら」のジョニー・ティロットソンとか、みな同じホテルでした。
 私はまだ17歳で、日本からやってきたごく普通の女の子でしたから、憧れのコニー・フランシスさんに会えたことがうれしかった。一緒にアイスクリームを食べた写真が残っています。とても気さくな人でしたし、彼女の“泣き節”を生で聞けて感動しました。
 ミーハーでしたね(笑)。自分が歌手として仕事をしているより、一ファンとしてコニーさんを見られるのがとってもうれしかったですから。



「小指の想い出」が大ヒット

=そのサンレモ音楽祭で2位入賞、すごかったですね。

 それより、とにかくコニー・フランシスさんに会えたことが一番うれしかったし、いい想い出です。

=その2年後でしたか、1967年に「小指の想い出」が大ヒットしました。

 それまでカンツォーネばかり歌っていたんですけど、二十歳のときに「小指の想い出」に巡りあいました。

=甘く切ない伊東さんの歌声が老若男女の心をつかんで、大ヒットしました。今でもどこかで必ず流れている名曲ですね。


スポーツ苦手を返上してテニス大好きに


image

=以降、歌だけでなく、ミュージカル、俳優としても大活躍していらっしゃいますが、オフの時間はどうされているのでしょう。スポーツなどおやりですか。

 じつは私は小学校時代からスポーツは大の苦手で。駆けっこはいつもビリでしたし(笑)。
 そんな私が35歳からテニスを始めることになったんです。
 それまで、仕事以外に趣味がなかったんですね。そうしたら、いつも私のドレスを作ってくれる先生から「あなたを見ていると疲れるわよ。たまには息抜きしなさい」って言われてしまいました。
 それを聞いた事務所の社長が、ある日ラケットからウエア、シューズに至るまで一式すべて買い揃えてくれました。そうしたら断れませんよね。
 でも、いやいや始めたせいか、練習をしてもはじめは10分ももちません。1ヵ月くらいして、もう途中でやめたかったけれど、一式プレゼントされてしまったし、これで止めたら悪いし、悔しいし……。
 そのうちにラリーが続くようになって、面白くなり始めたんです。今ではストレス解消にもなります。

 5年前からはプールへも通うようになりました。ジムを紹介していただいて。プールではダンベル持って歩いたり、水中エクササイズをしています。
 プールへはだいたい週に1回は通ってますよ。



(つづく)

表示:PC | スマートフォン