今月の写真 =「大正ロマンの趣き 京都府木津温泉ゑびすや貸切浴室」   セカンドライフに活かす 温泉のこ・こ・ろ
文・写真 温泉評論家 石川 理夫
プロフィール

第84回 信玄・謙信が認めた古湯

○戦国武将がリハビリした北信濃の古湯、野沢温泉

 いまNHK大河ドラマで『風林火山』を放映している効果で、お膝元の甲斐国(山梨県)はもちろん、武田信玄と越後勢の上杉謙信が覇権を争った信州(長野県)の戦跡、ゆかりの地を訪れる観光客が増えています。
 ハイライトは千曲(ちくま)川をはさむ川中島古戦場でしょう。千曲川は北へ流れて新潟県に入ると信濃川と名前を変えるように、越後と信州を結ぶ交通の要路。いきおい信玄と謙信の歴史の舞台となりました。

 その千曲川沿いで新潟県に近い北信濃の野沢温泉は、謙信と信玄共に書文の中で「野沢の湯」に言及するほど、一目おかれた湯治場でした。戦国武将は合戦で傷ついた将兵のリハビリセンターとして温泉場の価値を見いだしていたのですね。
 鎌倉時代から文書に登場する野沢温泉は、江戸時代には共同湯が「惣(そう)湯」と呼ばれた代表格の「大湯」をはじめ6ヵ所ほどあり、農業の傍ら村人は湯治客を泊める宿屋の営業を認められ、藩主も御殿湯を設けるなど、にぎわいました。野沢温泉を囲む山を覆うブナ林が水源涵養林となり、豊かな水と温泉を育んできたのです。
 これをよく知る村人は、昔から自治共同体組織「野沢組」をつくって山林と温泉を共同管理し、各共同湯を管理する「湯仲間」と共に守ってきました。

共同湯「大湯」前の坂道を上ると健命寺

○高温自然湧出泉を守ってきた「野沢組」の人々

 村会議員とは別の野沢温泉集落の住民選挙で、1年交代で選ばれる野沢組役員の代表を「惣代(そうだい)」といいます。名前にも歴史がこもっています。この惣代も務めた河野正人さんは、「住吉屋」という野沢を代表する老舗旅館のご主人でもあり、温泉界ではよく知られ、慕われた方でした。
 その河野さんが、一緒に野沢温泉の史料をひもとこうとの約束もかなわず、雪降る暮れに交通事故で突然なくなられて早2年半。野沢温泉の村人が総出で見送った、古式ゆかしい野辺送りの行列に悲しみと深い感動を覚えたものでした。

 その後、残雪に阻まれたりしてかなわなかったお墓参りを、先月ようやく果たすことができました。墓所は温泉街を見下ろす健命寺。名物・野沢菜発祥の地です。数百年来の旧家、河野家歴代の墓が並ぶ中、目印は「しだれ桜の下」と教わりましたが、見つけられません。それもそのはず、お墓は名前も戒名も墓銘碑も一切なく、歴史を経たかのように古色蒼然とした小さな五輪塔ひとつだったのです。
 山野草一輪。野沢の歴史の一員として溶けこみ、温泉を見守り続けたいという河野さんの思いがじーんと伝わる情景でした。

90度近い源泉が自然湧出する湯池の麻釜(おがま)

<温泉データ>
◎野沢温泉
 [住所] 長野県野沢温泉村
 [行き方] JR飯山線戸狩野沢温泉駅から野沢温泉行きバス17分
 [泉質と泉温] 単純硫黄泉〔硫化水素型〕、含芒硝・石膏-硫黄泉。40~89度
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